島根県大森町にある宿「他郷阿部家(以下、阿部家)」は、築227年の武家屋敷で、13年をかけて手直しをされた古民家です。誰かが歩くとその足音が、壁や床の振動をとおしてわずかに伝わり、継ぎ接ぎされたふすまは、やわらかい日の光を部屋へ届けてくれます。

高い天井と「おくどさん」と呼ばれるかまどが腰を据える台所は、阿部家の心臓部。夕食時は、宿泊客と阿部家で働くひとたちや「株式会社 石見銀山生活文化研究所(以下、群言堂)」の社員が集まり、いっしょに食卓を囲みます。

他郷阿部家での夕食
阿部家での夕食

そのようすを少し遠いところから見ているのは、「見習い女将」の大河内瑞さん。キュッと髪を結い上げまっすぐな視線を向ける先は、お客様やスタッフの動きや表情。阿部家という家と、そこへ集う人々を包み、守るような眼差しです。

流れ着いた「ここにいていい」と思える場所

── みなさん「瑞さん」と呼んでいらっしゃるので、瑞さんとお呼びしても、よろしいですか?

大河内瑞(以下、瑞) はい、いいですよ。

── 瑞さんは、いつからこの阿部家で働き出したのでしょうか?

 2年前の、2014年ですね。入社と同時に大森町へ移住しました。

大河内瑞さん

── それまでは東京で働いていたのですか?

 そうです。5年間、東京の農業に関するベンチャー企業で朝から夜までがっつり働いていましたね。

── 阿部家に出会うまでを教えていただけますか?

 東京でがむしゃらになって働くうち、ある時すっかり心も体もやられてしまったんです。結果的に退職することになったのですが、尊敬する上司もいるのに会社の目標や目指す世界に100%共感できない自分にモヤモヤして、あまり気持ちよく会社を離れられませんでした。会社を辞めてから、気分転換に友達と島根に旅行に行くことになり、阿部家のことを思い出したんです。

こういう古民家が島根にあるということは、以前から知っていたから、私だけ前入りしてここに泊まりました。今日のように私が宿泊した日も満室で、夜はほかのお客様と一緒に食卓を囲みました。もちろん、登美さんも。みんなでわいわいおしゃべりをしながらごはんを食べるのは、賑やかで楽しかったのですが、その晩は私は特に自分のことを話さずに、部屋に戻りました。

── あまり自分のことを話す気分になれなかったのでしょうか。

 ちょうどその頃、会社を辞めて無職だったし、周りの話を聞いているだけで楽しかったから、話そうとは思わなかったのだと思います。翌朝、起きるとふと体がとても軽くなった気分になりました。阿部家は、夜になると無音の世界に包まれるのですが、その静寂の中で一晩過ごしたら、強ばっていた力がフッと抜けたように感じられたんです。

不思議な心地のまま、朝食を食べ、席を立とうとすると登美さんが「そういえばあなた、昨日何も自分のことを話さなかったけれど、今どんなことをしているの?」と尋ねてきて。その時に、会社でどんな仕事をしていて、どんな思いで働いて退職したのかということを、ぜんぶ話しました。そうしたら「あら、じゃああなた、ここにいたらいいじゃない」って言われて。……で、今ここにいます(笑)。

── ……決断が早い!

 もちろん最初は「ここにいたらいい、ってどういうことだ? 退職するスタッフの補充か?」とか、いろいろ勘ぐりましたよ(笑)。

ただ、私が誰かとも知らずに、経歴や過去は関係なしに、無職の私を見て「ここにいたらいい」って言ってもらえたのが、すごく嬉しかったんですよね。だから、どんな形でもいいから「ここにいたい」と思いました。その後、友人との旅行から帰ってきてから「もしかしたら無給かもしれない」とか「住み込みになるのかな」とか考えつつも、何も分からないまま連絡をとって、阿部家で働きたいと伝え、ここで働くことになったんです。

料理も掃除も全然ダメ。登美さんの背中を追いかける日々

── 「呼ばれた」ような感覚だったんですね。瑞さんは現在、阿部家ではどんなお仕事をされているんですか?

 料理以外ほぼ全部、ですね。料理は料理人のスタッフがいて、私は予約管理や部屋の準備、掃除、事務仕事などを行っています。

阿部家の台所。様々な調理器具が並び、3つの釜がどっしりと中央に据えられている
阿部家の台所。様々な調理器具が並び、3つの釜がどっしりと中央に据えられている

── では阿部家では、登美さんに代わる若女将のような立ち位置なのでしょうか。

 登美さんに代わるレベルにはまったく及びませんが、見習い女将ですね、その方がしっくりきます。

── 阿部家は、ただの古民家民泊ができる場所というわけではありませんよね。衣食住をそのままお客様と共有する場所というか。単なる接客以上のことを求められるから、その鍛錬も大変そうです。

 すべてを手とり足とり、教えてもらうわけではありません。だから忙しい合間を縫って登美さんが阿部家に来た時は、学ぶための絶好のチャンス。登美さんの背中を、あちこちついて回って見て覚えています。登美さんは、私たちのような都会っ子の掃除の仕方や火の扱いを見ていると、本当にやきもきするみたいで。私たちも必死です。

── そうなんですね。

大河内瑞さん

 登美さんから見たら、衝撃的なくらい、仕事ができていないんです。一時「あなたのしていることは心がない、これは仕事ではない」と言われたこともあります。でも、最初は私も何が間違っているかすら分からない。そのギャップを埋めるのは、大変でした。

技術的なことはもちろん、寒いから布団の中に湯たんぽを入れておこうとか、小さなお子様がいたら絵本や座布団を多めに用意しておこうかとか、すきま風が入らないように雨戸をすぐに閉めるとか……そうした細かい心配りが、本当にすごいなと思います。私はまだ、すべてに気づけない。だから登美さんに「あれやった?」「これは?」と聞かれると、ハッとすると同時にすごく悔しいですよ、「くっそー気付けなかった!」って(笑)。

阿部家の中庭

── 瑞さんが阿部家や阿部家に訪れる人たちに、そこまでやりたいと思うのは、どうしてなのでしょうか。

 私、阿部家が大好きなんですよ。この家の見た目も雰囲気も、今まで培ってきた歴史や出入りしたひと、そしてこの阿部家をつくってくれた登美さんのことも。仕事中は、ぶつかることもあるし、厳しいこともたくさん言われますけど、年齢に関係なく常に素直で、一生懸命生きてるんですよね。そして、登美さんはいつも何かに怒っているんです。

── 怒っている?

 「私がなんとかしなくちゃ」という気持ちが、すごく強い。感情豊かで、常に燃えたぎっている感じ。だから、近くで見ていてとても刺激的だし、私が小さいことでうだうだ悩んでいるのも、どうでもよくなってくるんです。

手の届かない憧れが消え、自分の未来が見えてきた

── 瑞さんが、この阿部家を守りたいと思う気持ちと、登美さんを好きだという気持ちは、イコールなのでしょうか。

 根底では、そうだと思います。私が大好きな阿部家をつくったのは、誰がなんと言おうと登美さんですから。

以前は登美さんが求めることと、私が知りたい学びたいと思うことにズレが生じることもありました。登美さんは「今すぐやる」精神だけど、私は「いや、ゆっくりいきたい」と思っている、というふうに。でも最近は、大切な阿部家で働く以上、手が届かないような単なる憧れの気持ちではなく、いかに登美さんから学び、吸収できるかという気持ちに変わってきましたね。

── 阿部家で働く姿勢の変化の理由は何だと思いますか?

 宿業は、本当に様々な方とお会いする機会に恵まれています。登美さんの仕事だけでなく、お客様から学ぶことも、たくさんあるんです。私と同年代で頑張っておられる方も、たくさん阿部家に泊まりに来てくださる。年齢はものすごい先輩だけれど、今まで出会ったことがないような自由で魅力的な方々も、いらっしゃる。

そういうお客様ってみんな、私がおぼろげに「こうなりたい」と思っていたことを、具体化して動いてる方々なんです。その姿を見ていると、ただおぼろげに思っているだけじゃ、憧れも夢も実現しない。単純に「やるかやらないかだけなんだな」って、本当に思いました。

阿部家への思いは変わらず、働く姿勢が変化したのは、お客様と話すうちに、私自身が描いた未来が想像しやすくなってきたからだと思います。目指したい未来があるなら、自分が動けばいくらでも近づけるということを、特に同年代のお客様から、教えていただきました。

大河内瑞さん

── 見えてきた未来というのは、どういう姿ですか。

 ずーっと前から、抽象的なイメージは、ずっと頭の中にあったんです。自宅の近くに友達が住んでいて、子どもができたら地域で子育てができて、それぞれ生業を持って何かに依存し過ぎず、自立した地域で助け合いながら暮らしたい。何かモノがいる時は、友達がつくったものを買って、私もその友達に何かで返せるような関係性を築きたい。そんな未来です。

……最近ようやく、ここまで具体的なイメージにたどり着けたんですけどね。阿部家での仕事も、すべてその未来につながっていると信じています。それに、「私が返せるもの」をもっと具体的にしたくて、マッサージを勉強し始めました。あとは、自分の暮らしを、ちゃんと立て直せるようにならないと。今は阿部家にどっぷりですから(笑)。

「他郷阿部家」がこれからも続いていくために

── 瑞さんの描いた未来に、阿部家を継いでいくという未来は含まれていますか?

 今まさに阿部家で学んでいることは、1年や2年で習得できるものではないです。テクニックだけではなく、登美さんの感性がすべて染み込んでいるのが阿部家です。その片鱗をつかむのにも、きっと5、6年はかかると思います。だから、これからもここで働き続けるとしても「登美さんの後を継ぎます」とは、安易には言えないですね。それぐらい重たく、大事なことをやっている気がするから。

大河内瑞さん

── だからこそ、改修してからずっと阿部家で暮らしていた登美さんが引っ越して、阿部家を離れたというのは大きな転機だと思います。

 宿業を始めた当初は、単純に人を雇う余裕がなかったから、登美さんが1から10まで全部やっていた時期もありました。でも最近、登美さんの中で「若い人を育てることが大事だ」という思いがすごく強くなってきていて。

だから、台所も新しいスタッフが入って、一緒にがんばっています。手を出したら意味がないと思っているんだろうけど、登美さん、全部自分でやりたいんですよ、本当は(笑)。でも、松場登美というひとは、一人きりです。登美さんの価値観や感性を共有できる若いひとを育てないと、阿部家は続かない。だから、すごく我慢して、任せてくれているのだと思います。

── なおさら、応えなきゃと思いますね。

 そうなんです、でも一筋縄ではいかないですね。阿部家は、もともと登美さんの家ですが、いつまでも「登美さんの家」として向き合っていたら、一生自分の仕事にはなりません。この家を再生させたのは登美さんだということは大前提としても、自分でできることは何か、考えている最中です。

── 先ほど、瑞さんは後を継ぐとは考えられないとお話しされていましたが、一方でここで培ったものを手放さず、つなげていきたいという思いはありませんか。

 ……ずっと、重すぎて、目を背けていたんですけど……なんて言ったらいいんだろう、正直すごく不思議な思いです。阿部家に来た当初は、ここを継ぎたいだなんて1ミリも思っていませんでした。

でも、阿部家に関わるひとたちの思いの強さを、いつも肌に感じていて。登美さんはきっと、阿部家で学んだことを私なりに咀嚼して、違う形として継いでいくことも望んでいると思います。一方で、阿部家に残って継いでいくことも、あるかもしれない。どこで、どんな方法を取るかはまだ分かりませんが、阿部家と登美さんから浴び続けた感性やものの考え方は、無になることはないです。

── 阿部家は暮らしそのものを見せる場ですから、単なる民宿になるのではなく、常に誰かの息遣いが届いていないといけないのかもしれません。見習い女将として、これからますます忙しくなりそうですね。

 そうですね。ただ、今の私の生活っぷりだと、阿部家でお客様に提案していることとズレてしまうから、まずは自分の暮らしのバランスをとろうと思っています。

東京に居たときと比べたら、とても変わりましたけどね、花を生けるようになったり(笑)。でもまだ阿部家での暮らしが、自分のものに、本物になりきっていない気がするから、私の暮らしを私自身が楽しむところから、きちんとできるようになりたいです。

阿部家と瑞さん

お話をうかがったひと

大河内瑞(おおこうち みづ)
1986年東京都の多摩ニュータウン生まれ。小さい頃から絵を描くのが好きで美大に進学。地域の子ども達を山奥に連れていって廃校になった小学校で寝泊まりしながら一緒に様々な活動をするサークルにどっぷりはまりほぼ絵を描かなくなる。穴を掘ったり川に飛び込んだり薪を割ったりして大学生活の大半を過ごす。卒業後は尊敬する社長のいる農業の会社に就職。営業、広報、八百屋の売り子、レストランの店長などがむしゃらに働くも心身ともに疲弊し退職。自分が自分として生きるということをこの頃から真剣に考え始める。人生で最高に悩んでいる真っ只中に他郷阿部家に宿泊。たった1日の宿泊がきっかけで働くこととなり今に至る。

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